一昨日から部屋に閉じこもって図面を描いている。なん本もなん本も線を描きながら頭をよぎったこと。いつも思う設計(デザイン)のこと。実は先日、仕事で関っている工務店の担当者が私に聞いてきた。「いつも(工事費の)大きな仕事ばかりしているんですね・・・」そこでどうしてかと聞く「既製品を使っていない」からだと言うような意味が返ってきた。私はその意味がよく掴めなかったので少し聞き返した。つまり「既製品を使わない」=「潤沢な予算」という意味のようだ。これに少し近いことがお役所の設計業務でもある。なにか新しい提案をしたとする。すると「このような設計の事例を持ってきなさい」とよく言われる。この二つの話の背景にあることは、「既製品は正しい」、「新しいものは費用が増す」もしくは「新しいものは大変である」、「新しいものは心配だ」ということ。私はいつもとぼけて「設計ですから」と言い訳する(もちろん提案を納得してもらうための説明はします)。設計と言うものは、その場所・使う人・使い方・時間の経過にとって望ましい提案を行うこと、しかも限られた予算の中で最良の方向を見つけること。それを具体的なものづくりとして導くこと。だからいつも違う内容だし、作り方も異なる。いたずらに既製品を並べることもしない。既製品よりも安価でお金をかけずに質のいいものはいくらでも創れる。設計者にとって当然ことだが、どうも世間では違うらしい。既製品は安価で正しいと信じて疑わない。確かにそれをまったく否定はしない。しかし、TPOに有ったものがその中にどれだけあるだろうか。その製品が品質的に優れているのか、金額が妥当か、環境に対した配慮がされているのか。設計をする人間は、さまざまな視点から見定めなければいけない。それを庭の草花に置き換えてみるといい。園芸店から草花を買ってきて庭に並べたら優れた庭になるとは誰も思わないだろう。並べる草花の相性もある、季節的な変化もあるだろう。配置ひとつで大きな変化も生まれる。もちろん人に依って好き嫌いも有るだろう。加えるならばはたして園芸店で入手した草花が健康なものかどうか。いいものを造ると言うことはやはりなによりも時間と想像力と、人の手をかけて創り上げるものであると言うことを多くの現場技術者が忘れかけていはいないか。もちろんこれはわたし自身への問いでもある。しかしそんなことよりも今、引いた一本の線がどんな空間を創るのだろうか。設計とは実に楽しい作業。庭づくりも同じ、地面に伏して草花を見ていると楽しい。まず「楽しく・楽しく」これがいいものづくり・環境づくりの第一歩、そして時間をかけてこつこつとするこれがいいものづくりの一番の近道だと思う。設計も同じで一夜二夜で満足する図面は描けない、描いては消し、消しては描くの繰り返し。そんな無駄とも言える作業と時間の繰り返しの中からパ〜ッと場所のイメージや使い方のシーンが開ける時がある。ここまでくればしめたもの、70%できたも同じ(でも実際は70%以上の図面が待っている)。設計って体力勝負・気力勝負かもしれない。【2008/09/08】
Photo:バラ用トレリスとベンチの1/10模型。形や大きさ、制作方法、色などを検討。実際に木で作った。これも大切な設計作業のひとつ。
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