2009/02/11

アーボリストと言う職業(3)

 奈良在住のアーボリスト・小林君からエッセイが届いた。今回はイチョウの話し。
 日本では漢字で「銀杏」と書く,これは種(実)のギンナンを「白く輝く杏(あんず)の種」に例えたことから。一方,生まれ故郷の中国では「鴨脚」と書く,これは葉っぱの形と色,つまり「鴨」(中国ではアヒルをさす)の脚に似ている事から。学名では「GINKGO」と書く,中国語の読み方そのまま。
 そしてイチョウと言えば忘れられない話しがある。それは8年ほど前に東京・谷中霊園での出来事。イチョウの大木の根が隣接する墓石を持ち上げてしまい,支障木として切り倒される事になった。イチョウの大木が生み出す周りの自然環境を守るために住民側として反対をしたものの伐採の決を下された。いざ,伐採作業に入るとあろう事か,伐った幹をつり下げていたクレーン車がバランスを崩し,その拍子にアームが中程でグニャリと折れてしまった。幸い人身事故には至らなかった。その後も作業員のチェンソーの刃が幾度となく折れ,数台のチェンソーが壊れてしまうなど毎日がトラブル続きだった。こんなことはそうある訳ではない。さすがに伐採作業を請け負った会社も,作業発注をした霊園管理事務所も真っ青になった。そこで我々の提案で急遽,お祓いを行なった。伐採作業はその後,トラブルも無く順調に進み終わった・・・と誰しもが思った,ところがどうだ最後に地際の幹の中心部から,直径45cmぐらいの丸い石が胎児のように出てきた。なぜ,丸い石が樹内に入っていたのか? 誰にも判らない。作業員達は最後に地面にぽっかりと空いた穴にその丸い石を納めた。彼らにとっては,明日は何が起るか判らないと言った不安の中での1週間だったようだ。切株の年輪を数えると120年以上あった。切株から吹き出す樹液はなんとも生臭く,切口は獣の皮を剥いだような色つやだった。植物と言うよりは動物的な感じ。その後,伐採反対を訴えてきた我々の提案でイチョウの幹の一部は公園のベンチとして加工され,また切株はイチョウの歴史を知らせるためにその場の近くに展示された。小林君が言う様にイチョウには信仰心を感じさせる何かがあるのだろう。【2009/02/11】

2009/02/10

木を伐ると言う事,植えると言う事(1)

 現在,滋賀県の古い小学校(1935年築)の旧校舎の修復・保存活用計画に関っている。かつては東洋一と呼ばれたほどの立派な校舎である。その当時において日本全国さがしてもどこにもなかったであろう,テニスコート,囲み型の庭園,噴水修景池,学習菜園,厩舎などが整備されていた。庭には,当時まだ珍しかったであろうヒマラヤスギやメタセコイヤの大木も育っている。今回の改修のための造園計画で僕は,これらの樹木の現状と今後,建物と起こりうるであろう多くの問題点を考え,伐採する判断をした。これには,小学校OBであるご年配の方々の猛反対にあった。小さな頃から毎日,見慣れた大きな樹木が伐られてしまうのだからもっともな事だ。しかし,歴代の写真を見てみるとこれらの樹木は,創建当初のものばかりではなく,植えられたり伐られたりしてきたようだ。しかもそこからは,この2種の樹木の扱いを判らずして植えてきた経緯が見える。つまり日本においてはまだ成長の早さが判らず,建物のごく近くに植えてしまっていた。ところがその成長は,予想をはるかに超えたものだったようだ。そこで今回の校舎保存計画としてかつての先輩造園家が計画して植えたもの(結果として今の問題点を生み出すこととなってしまった)である以上,将来おなじ問題を起こさせないために今かかわる造園家が新たな判断をする。誰かがきっちりと判断しなくてはならない。僕は「伐る」という判断とその木の「世継ぎ」(伐採する木から挿し木苗を得る)を育て,植える場所を配慮し風景を再現することとした。無論,そんな事で伐採反対の方々の気持は収まらないが,一応の理解は頂けた。後はこちらが思う様に「世継ぎ」づくりが出来るのか。そこで植木屋を通じて挿し木の専門家に指導をお願いした。本日,わざわざ宝塚から駆けつけてくれたのが専門家Sさん。Sさんに教えてもらった挿し木の一番大切なポイントは,見極めだと言う。枝一本を見た時に,3年目の部位,2年目の部位,そして今年伸びた1年目の部位が判る。この2年目と3年目の境で切ると言うのだ。(つまり挿し木に使うのは1年目と2年目の枝)これを見誤ると発根がしにくいと言う。そして後は水やり。何事にも「見極め」は大切だ。さて挿し木の指導が終わった後,Sさんが僕に尋ねた「失礼ですがK研究室ご出身ですか?」。話しを聞くとSさんは,僕が大学時代在籍していたK研究室の3年後輩で,研究室の資料の中にあった僕の名前を覚えていたと言う。これには驚いた。予期せぬ研究室の後輩との出会いに,「世継ぎづくり」は上手くいきそうだと思った。「見極め」に加えて「ご縁」が大切。「縁」と言えば「ふち」である,これは「際」とも言える。「際」と「極」どこかでつながっている。【2009/02/09】Photo:ヒマラヤスギの挿し木の手ほどきを受ける関係者

2009/01/07

芝生の養生

 近江兄弟社小学校の芝生の中庭は,子ども達に人気の場所。人気があるがゆえに時々休ませないと疲れてしまう。今日は芝生広場の周りにロープが張られ,「お願い事」が書かれていた。何でもないあたり前のことだが感心した。芝生の広場を提案すると,必ず管理が大変である,養生期間が必要だ(そのあいだ使えない)といった課題・問題(?)が起る。だからもっと簡易なものはないかと聞かれてしまう,だから止めましょうと言われることも少なくない。芝生の空間が子ども達に与える利点は多い,しかしそれと同じぐらい手入れが必要なのも事実。この使う・休ませるのメリハリのある使い方がなかなか出来ない。今日はこんなあたり前のことに感心してしまった。管理のためにはもう少し冒険的試みをしても良い,子どもたちに割りばしを配り,一人100回芝生の地面を刺せば良い。きっと良いエアレーションが出来るに違いない。
【2009/01/06】Photo:@滋賀県近江八幡市近江兄弟社小学校

NI-WA=NO-MA・その12=シードボール「かいわれ団子6」

 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。昨年のブログを振り返ってみると,庭づくりの話しよりもその周辺の話しがほとんどと気づく。単に庭づくりと言えどもさまざまな事柄に関係しているものなのだと思った。これは話題に欠ける自己弁護か。さて,ボーダレス・アートミュージアムNO-MAのシードボールを見に行く。さぞや元気に成長しているものと思うと,実はすっかり大きく成長し,蕾も沢山上がってきた水仙がぺったんこになっている。年末に降った雪が原因。ただしシードボールの草の若葉は元気である。周囲の水仙は,成長が悪いので積雪の影響はほとんどない様子。シードボールの置かれた場所の地中に偶然眠っていた水仙がひときわよく成長したと思っていたがこんなこともあるものだ。先にうまく成長したものが必ずしも勝者と言う訳ではなさそうだ。
【2009/01/06】Photo:@ボーダレス・アートミュージアムNO-MA

2008/12/28

犬矢来(いぬやらい)

 自宅近くの大きなお屋敷の横を通ると新年を迎えるためお庭から庭師のハサミの音が聞こえていた。外塀の犬矢来(いぬやらい)も治したばかり。古い竹材の中に混じる青竹の部位がなかなかきれいだ。悪くなった部位だけを交換し続ける。全部を新しい青竹に変えてしまうよりもなんだかこちらの方が「遊び」や「ゆとり」そして「品」のようなものを感じる。こんなつぎはぎの模様がきれいなのも本物の材料としっかりした仕事だからこそ、プラスチック竹ではこうはいかない。
 犬矢来(いぬやらい)を辞書で引くと「道路に面した外壁に置かれるアーチ状の垣根。竹や木などでできたものが多いが、現在は金属製も多く用いられる。馬のはねる泥、犬走りと呼ばれる軒下を通る犬や猫の放尿から壁を守るもの。駒寄せから発展したとも言われ、泥棒が家に入りにくい効果もある。」とあるが、本来は雨の跳ね返りから家の壁の汚れや柱の地際の腐りを保護するための工夫。実際に犬矢来(いぬやらい)が巡らされた壁下をみると汚れや腐りによる痛みは非常に少ない。しかし今では、外塀にとって最大の迷惑は雨による汚れや腐り、イヌのオシッコ防止よりも、駐輪・駐車やゴミのポイ捨てのようである。【2008/12/27】Photo:@京都市左京区聖護院

2008/12/26

泥団子プロジェクト「NI-WA=NO-MA」

 ボーダレスアートミュジアム・NO-MAの地域交流事業「泥団子プロジェクト/NI・WA=NO・MA」のまとめ展が先週から始まった。3回にわたるワークショップの様子と最後に描かれた絵が見れる。土をこねる、草を触れる、劇を演じる、音を楽しむ・・・近江八幡の素材:水・土・植物・空気がこれほどまでいろいろな可能性と楽しみを与えてくれたことに心より感謝。加えて忙しい日常業務の間にこれほどの展示をしてくれたSさんにも心より感謝。地域交流事業・・?と考えると、僕たちは人と人の交流をイメージするが、人と人に加え「自然との交流」、人を支えてきた「町を知るための工夫」を土台に据えることで魅力的になることが判った。近江八幡を訪れる観光客のみなさんにも是非見てもらいたい。「泥団子プロジェクト」のまとめ展をご覧になりたい方は、受付でひと言声かけをして下さい。→会期終了しました。【2008/12/25】

NI-WA=NO-MA・その11=シードボール「かいわれ団子5」

 久しぶりに近江八幡のNO-MAの庭をのぞく。シードボール(八幡団子)は、2週間前よりもずっと緑が濃くなってきた。草の苗の背丈が伸びたと言う訳ではないが緑の勢いを感じる。すっかり泥団子の地面は見えない。そして団子島のど中に生えてきた水仙も同じく周りの砂利に生えているものよりも同じく緑の勢いが違う。なんだかシードボールと共生しているみたい。あと2週間もすれば水仙の花も咲きそうだ。緑の水盤に生けられた水仙・・・とてもきれいだと思う。【2008/12/25】Photo:@滋賀県近江八幡市 ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 

2008/12/18

夜の京都府立植物園



 京都府立植物園の夜間観覧が先週末から始まった。昨日、仕事帰りに足をのばす。動物園では「ナイトサファリ」と称して動物の夜の生態を見せる試みもあるが、植物園の夜間観覧はあまり聞かない。夜間観覧は植物の生態を見せると言うより今回も例外ではなくイベント的(観月とか夜桜とかも含めて)なもので植物とはさほど関係はない。いわば集客のためのサイドメニューといったところか。イルミネーションのチープさやデザインの悪さはなんともしがたい、しかしゆっくり歩くうちにそんな思いはどこかに消えてしまった。暗闇を見ながらゆっくり歩く、嫌な雑音のない場所を歩く、しっとりとした空気の中を歩く・・・そんな時間の中から夜の植物の様子がよく判ったからだ。つまり動物と違って全くといって良いほど活動をしていない。昼間のような植物達のざわめきが感じられないのだ。やっぱり太陽光をエネルギーに変えて生きている生きものだと言うことが判る。入園料は200円、街の中でゆっくりと暗闇を歩ける時間は貴重でお買い得か。しかも温室の入館は特別に無料。外を歩いて冷えた体に温室のほんのりとした暖かさは格別。特別夜間観覧:12月13日(土曜日)から23日(火曜日)毎晩17時30分〜20時(入園19時30分)
【2008/12/17】Photo: 夜の温室(府立植物園のHPより)、植物園自慢の木・トウカエデ(上)とハリモミ(下)のイルミネーション。

2008/12/10

NI-WA=NO-MA・その10=シードボール「かいわれ団子4」

 近江八幡にあるボーダレス・アートギャラリーNO-MAの庭のシードボールの近況報告。沢山の実生(みしょう)がびっしり生えすっかり泥団子は見えない。数えてみると混ぜ込んだ種類の約半分・6種類ぐらいが発芽しているようだ。春になればもう少し種類が増えそう。【2008/12/10】
Photo:@近江八幡市ボーダレス・アートミュージアムNO-MA

2008/12/09

ベス・チャトー 荒れ地で育(はぐく)む奇跡の庭



 NHKハイビジョン特集「ベス・チャトー 荒れ地で育(はぐく)む奇跡の庭」 の録画を観た。(放送:11月27日、午後8:00〜9:50、NHKBShi)ベス・チャトー・ガーデンズは、荒地を美しい庭に変えた「奇跡の庭」と言われている。イギリス南東部エセックス州のこの庭は、かつて果樹園栽培地の中で農地としてあまりにも土壌が悪く捨て去られていた場所。ここの土壌は、2つの要素から成り立っているのだそうだ。ひとつは4千年から1万年も前の氷河期に、溶けて氷河が運んできた砂利が混じった土・・・。そしてもうひとつは、重い粘土質の土・・・。砂利と粘土を合わせ持つ、まさしく植物栽培には不毛の土地。そんな荒れ地を美しい庭に変えた「世界一のプランツ・ウーマン」と呼ばれるベス・チャトー(Beth Chatto)さん(85歳)。庭作りを始めて半世紀、イギリスでも一番雨が少なく乾燥し冬は零下、夏は30度にもなる過酷な土地で1年中ダイナミックな美しさを保つ「奇跡の庭」を作り出してきた。その秘密は植物を花の色だけで選ぶのではなく、葉の形や植物が育つ自然環境に徹底して寄り添い、生物本来の力を引き出すことだと言う。それは9年前に亡くなった夫アンドリューさんとともに育んで来た園芸の理論、そしてベスさんの人生の理念でもあると言う。
 庭は、大きく水辺の庭(WETLAND GARDEN)、森の庭(WOODLAND GARDEN)、そして砂利の庭(GRAVEL GARDEN)の3つのゾーンからなっている。特に砂利の庭は、乾燥に強い植物と砂利で構成され、水遣りを一切しなくても育つようエコロジカルな庭造りを実験。彼女の言葉で特に印象に残ったのが「庭づくりと言えども貴重な水を使っていていいのだろうか」、「庭づくりを道徳で考えるのではなくこれは哲学」、「これからの地球温暖化の時代の庭づくりをどう考えるか」・・・。半世紀に渡る経験を通して地球環境も考えて作る彼女の庭作りには、学ぶものが沢山ある。植物層に貧相なイギリスでは使用する植物の大半が他国から移入されたもの。植物に手をかけないでも勝手に育ってくれる日本とは異なり、移入した以上は人が管理をするのが条件、もしくは徹底的に自然風に見せるように手を加えてきた。そんな英国の庭に人が手を加えないでも維持出来るゾーンの提案、そしてそのゾーンにあった植物の選択、きっとそれまでのガーデニングにとっては画期的なことだったのだろう。
 イギリスの書店で目にした新しい考え方「エコロジカル・イングリッシュガーデン」や「オーガニック・ガーデン」。一方、日本の庭づくりでおまじないのように使われる「イングリッシュガーデン」。どちらがどうと言うことではないが、英国ではどんどん時代のなかで変わっていく庭との関り方と考え方。ここにイングリッシュガーデンの本当の魅力がある気がする。
 番組のシーンの中で面白かったことが一つ。彼女が若いガーデナーにネギの植え方を教えている。ネギの苗を地面に開けた孔(孔をあける道具は多分、折れたスコップの柄)にズボッとさして水をたっぷりと与えている。日本ではネギが高温多湿を嫌う植物であること、また倒れにくくする工夫として、予め乾燥させた苗をウネに倒して置き、根の部分に軽く土をかけるだけ。これは種類が違うのか、土壌が違うのか、気候が違うのか? 彼女が日本の植え方を見るときっと驚くだろうな。
 番組全体のストーリーメーキングが少し気にかかるが、彼女の庭での仕草や表情、インタビューは面白い。【2008/12/07】
次回放送予定:2009年1月3日 NHK総合8:00〜9:30

2008/12/05

フェノロジーを楽しもう

 仕事帰りに近くの岡崎公園を散歩する。昨日とはうってかわって肌寒い雨天。今日の雨で紅葉する樹々の下にそれぞれの色鮮やかな円模様が出来上がっている、落葉が雨で濡れて飛ばないので雨は雨でいい。トウカエデの並木でおもしろものを見つける。トウカエデはきれいな紅葉で公園や街路樹ではよく使われる、そのトウカエデの並木の中に一本だけ黄色の葉をつけたトウカエデがあった。地面に出来た紅色の円模様に一本だけ黄色の円模様。同じ種類の木なのにこれだけ色が違う。これも木の個性(*1)だろうか。普段、夏や冬には気づかない木の個体・特徴を見ることができた。だったらトウカエデの並木に紅葉する個体と黄葉する個体を交互に植えると秋におもしろい季節変化が楽しめるかなとも思った。他の樹木でも、例えばシラカシは春の芽立ちに緑芽と赤芽の色違いがある、ユズリハは葉柄(よいへい:葉の付け根の軸の部分)に赤軸と青軸(あおじく)がある、このように同じ種類の木でも個性がある。ほかに「このミカンはすっぱい!」も木の個性。僕たちは木の種類ばかり気にして、木の個性を見ることが苦手なようだ。
 僕たちは春の新芽や秋の紅葉、樹々と季節の変化を楽しむ。これは植物学で言う「生物季節学:フェノロジー=Phenology」を楽しんでいることになる。今までなんとなくぼんやりと見ていた庭木や街路樹の個性が際立つ季節を楽しもう。【2008/12/05】
Photo :手前が紅葉、奥が黄葉の落葉が作った輪模様 @京都市岡崎公園、奥の建物は京都市立美術館
*1:木が植えられている土壌や位置(風当りや、日照条件)によりけっこう変化が出ることもあります。

2008/11/27

NI-WA=NO-MA・その9=泥団子で描く/後日考

 NI-WA=NO-MA「泥団子プロジェクト」を終えた後(11月24日)、簡単なスタッフ会議・反省会を行なった。いろいろな課題と今後のヒントが出た。さて今日はインターネットのexciteニュースに宮崎駿監督の記事があった。「悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない—宮崎駿監督〜映画哲学を語る(前編)」記事を読み進めるうちに泥団子プロジェクトで僕が企画の根底に考えていたことに通じる文章が目にとまった。
 「・・・子どもたちが字を覚える前に覚えなければいけないことがいくつかあって、これは石器時代からやってきたことです。自分で火をおこして、燃やし続けて消すことができる、水の性質を理解している、木に登れる、縄でものをくくれる、針と糸を使える、ナイフを使える。これだけは国が責任をもって子どもたちに字を教える前に教えなければいけないと思っています。」(上記記事より)
 考えればこれらすべての体験は特別なことではなく、日常の庭づくりで体験出来ることだ。庭づくり・庭いじりこそ、現代の子どもたちが「字を教える前に覚えなければいけないこと」に満ちている。幼稚園・保育園や小学校低学年の授業に「庭いじりの時間」なんてのがあればいいのに。そして高校や大学では卒業のための取得単位として3ヶ月以上の農業体験が必要。どこかの学校でしませんか? いや宮崎監督の言葉を借りるなら国の責任、つまり「国の制度=懲農制度」としてする? 環境にも医療にも効果的だろう。【2008/11/27】

2008/11/25

NI-WA=NO-MA・その8=泥団子で描く




ボーダレスアートミュージアム・NO-MA 地域交流事業「NI-WA=NO-MA」の第三回目(泥団子プロジェクト最終回)。今日は第一回目に作った泥団子を使ってキャンバスに絵を描いた。絵具(泥絵具)は、草木や土、炭など自然の素材を加工して作ったものである。草木は煮出し、土はふるいで細かくし、炭は割って粉にすることで顔料とした。それぞれから得た顔料に土と糊を加えることで緑茶色(ヨモギ)、紫色(マメツゲ)、なんとも言い難い青黒色(イヌタデ)、鮮やかな赤紫色(ヨウシュヤマゴボウ)、茶色(桜葉+紅茶)、黒色(炭)の6色がそろう。これはかつて僕達人類の祖先が描いた洞窟壁画や地球上の各地域に暮らす先住民の絵の描き方と同じである。絵具は買うもの、チューブから絞り出すものと思っていた子どもたちには新鮮だったに違いない。参加者全員が見守る中、一人ずつ自分の泥団子に絵具をつけキャンバスに転がす。極太、極細、ゆらゆら、Uターン・・・子どもたちが泥団子と泥絵具で描いた約30本の軌跡はすべて異なり、かつ全体の統一感にあふれていた。今回のプロジェクト記録及び作品は、NO-MAの蔵で12月10日頃から展示予定である。ただし、庭に並べたシードボールの観察記録はまだまだ続く。【2008/11/24】
Photo上 : 泥団子で描いた絵
Photo中:炭を石でたたいて粉にする
Photo下:全員が見守る中、キャンバスに一人ずつ自分の泥団子に絵具をつけ転がす
@会場:滋賀県近江八幡市永原町中 尾賀商店=築150年の家屋
写真撮影:武壮隆志さん(カウチル日記 cowchil.exblog.jp をご覧下さい)

2008/11/22

アーボリストと言う職業(2)


アーボリストの小林君(*1)から彼が書いているフリーペーパーが届く。本題の堆肥づくりよりも「髪の毛を切った!」(彼の場合、伐ったという方が適切か?)ということが印象的な一文。これで木登りの時に標準サイズのヘルメットがかぶれる?【2008/11/21】
*1 アーボリストと言う職業(1)10月21日をご覧下さい。

2008/11/19

市民ガーデン(3)ニュースレター創刊号

いよいよ「(仮称)小諸・市民ガーデン」プロジェクトが動き出した。市民・地域住民の方々に広く知ってもらうためにニュースレター(まちづくり通信の中に入る)も出来上がった。今回のプロジェクトのような公園づくりは事例が少ないだけに手探り状態だ。さてさて市民の皆さんの反応は如何に!【2008/11/19】

2008/11/15

雑草を考える

 夏前にNHKでイングリッシュガーデンの番組を放映していた、紹介された庭園の一つにコッツォルズ地方の「KIFTS GATE GARDEN」があった。この中で庭のオーナーのことばが「雑草は種をつけるまえにとらなければいけない」とナレーションで通訳された。確かにオーナーは「ここのWEED(=直訳だと雑草)は取り除かないといけない」と話している(英語では)。しかし、その雑草はオーナー自身がそこに植えた結果、旺盛な繁殖を行っている植物である。(実際に植物層の貧相な英国の自然においては雑草とて人為的に植えられたものがほとんどだ)そのような庭の歴史と背景を考えるとこのNHKのナレーションは適切でない。この場合は、「この草は庭のここのエリアで他の植物が生育するために取り除かなければいけない植物」もしくは「この草は他の草の生育にとって望ましくないので取り除かなければいけない」と訳されるべきである。これは実際の取材現場のプロデューサーまたは通訳の理解不足・勉強不足によるものかどうかは判らないが、もう少し視聴者に対して適切な表現をしてもらいたいと思った。(取材の中で、その雑草はどういうものか、どこから来たものか、なぜ必要ないのか・・・の裏をとることが大切)このちょっとしたあやまちが庭づくりにおいてある誤解を生み出すことになる。つまり「雑草はとらないといけない」。このような初歩的なミスが最近のTV番組に多い気がしてならない。一方、今年6月に世を去ったターシャ・チューダの取材では、この点については感心するばかりにきっちりと取材がされていた。こちらは気難し屋のターシャ・チューダとの長期にわたる取材の結果だと思う。やはり時間のなかでの共有体験がいいものづくりには欠かせないと言うことか。話しを庭にもどし「雑草の考え方」として、「ある特定の場所で自分が育てたい植物の生育を妨げるある種類の草花を雑草」と言うことにしよう。だからどのような草花も雑草となり得るし、また雑草は必ずしも取り除く必要は全く無いのである。
 小諸・市民ガーデンの打合せでW氏のご自宅でお世話になる。ベッドの横にターシャ・チューダの写真集を見つけ、読みふけるうちに少し前に気になったことを思い出した。【2008/11/16】
Photo : 小諸のWさんの庭、先日NHKの庭番組で紹介された。中央の井戸は、実際の井戸ではなくダミー。

2008/11/09

草木染め

近江兄弟社学園のヴォーリズデイ(学園の文化祭的な行事)に参加させて頂いた。小学校保護者の方々と「草木染め工房」(*1)を開いた。メニューは二種類、「桜の秋葉染め」と「セイタカアワダチソウの花色染め」。桜の葉(学校の正門)とセイタカアワダチソウの花(近くの河川敷で採集)の煮汁(染液)で木綿のエコバックを染色した。媒染液の材料は小学校の水田から集めたワラ灰とミョウバン。材料は出来るだけ学校とその周辺で簡単に入手できるものにこだわった。結果は写真を見ての通り、材料も条件も同じなのに作者ごとに違う色と模様がとても面白い。(Photo : 黄色がセイタカアワダチソウ、赤茶色が桜葉。桜葉染めのバックは桜餅の香りがします。白い部分は輪ゴムで絞りをかけた部分。)
 簡単に出来るので庭の落ち葉や剪定した枝葉でも試したい。方法を簡単にご紹介します。1)染液をつくる:まず鍋に枝葉(枯葉、生葉・生枝を問わない、でも泥や汚れは洗っておく)と水を入れて20〜30分ぐらい火にかけ、煮汁が出たら枝葉などをザルで漉し、残った煮汁が染料となります。2)媒染液をつくる:灰が手に入ればそれを使い、なければ薬局でミョウバンを買って(大きめの洗面器にティースプーン一杯ぐらいをいれ水が透明になるまで撹拌する)それぞれの水溶液を作っておきます。なければ無媒染でもかまいません。3)染める前に:布は事前にお湯で十分に洗いのり等の不純物を取っておく。布を輪ゴムで縛ることによって模様もつくれます。4)染める:布を作った煮汁(染液)に漬けます(ナベを火にかけたまま15〜20分)。5)媒染:布が十分に染まったら良くしぼり、別のお鍋に用意しておいた媒染液の中で5〜10分程度振るいゆすぎして発色させます(この時にまんべんなく布を液の中で泳がせるとムラが出ない)。5)最後に:布を水でゆすぎ、絞り、干す。乾いた後にアイロンをあてる。アイロンで熱を与えると変色する場合もあります。どんな色に染まるかはお楽しみ(*2)。染めの作業はほとんど料理の世界。庭いじりは植物を育てること以外にもこんな愉しみもあった。皆さんも一度、お試し下さい。
【2008/11/09】@滋賀県近江八幡市近江兄弟社小学校

*1:「染め」は古来より草木や泥を染料としたものだから「草木」という現代の言い方に抵抗がある、しかし今回はあえて「草木染め」としました。現代の染めを「化学染料染め」と言う方が正しい。
*2:草木染めのテキストを読むといろいろなことが書かれていますが、あくまでも庭の愉しみの延長なのでこの辺りはこだわりません。むしろ自由に楽しみたい。

2008/11/08

NI-WA=NO-MA・その7=シードボール「かいわれ団子3」

NO-MAの庭のシードボールが一段と砂利の中の緑の島になって浮き上がってきた。【2008/11/08】

2008/11/07

環境カウンセラーと五十鈴川

環境省が定める制度に環境カウンセラーというものがある。環境カウンセラーとは、市民活動や事業者の中での環境保全に関する専門的知識や豊富な経験を有し環境保全活動に関する助言などを行う人材として、環境省が審査を経て登録するものである。僕もこの環境カウンセラーの端くれで、今年度末までに更新をしなければならない。さてこの更新は3年毎必要であり、3年と言う期間中に少なくとも一度の研修を受けるべきとされている(以前は更新の必要条件だった)。今年も全国の主要な地域で様々なテーマで研修が行なわれているので自分が求める内容を選び研修を受ければいい。僕は「生物多様性」をテーマにした名古屋での研修に参加した。会場は「国際会議場」と称するすばらしい建物であり、参加者数に有り余るほど広く、時期外れの冷房を効かせた部屋が用意されていた。環境問題を語るには面白い。ところが、研修の内容はメインテーマである「生物多様性」はかすっただけ、環境カウンセラーに求められている専門知識を実践として活かす内容にそったものともほど遠いものだった。その内容は、行政の考える環境教育施設の紹介に終始した。施設の将来構想といえば既に海外の環境教育系の施設が相当前から実践しているものである。どこにも独創性や先進性が感じられない。研修とは名ばかりの表面的なものだったことは残念。唯一、地元の方の実践発表は面白かった。やはり紆余曲折の永年に渡る活動は興味深い。結局、研修の終了を待たずに会場を後にすることにした、研修担当係の方に名札とアンケート用紙を渡すと「ここで帰ってしまうと研修終了証書の発行が出来ませんよ・・・」と。そんな研修終了証書の発行のことよりも研修自体のあり方を見直してもらいたいと思った。それに僕は研修終了証書なんて興味がない(もちろん興味がある人もいるだろうけど)。それよりもこの機会に伊勢神宮の森に是非とも行っておきたかった・・・、名古屋から伊勢神宮に向う。十数年ぶりに訪ねた伊勢神宮の森と五十鈴川は、期待を裏切らないすばらしさだった。たった数時間だけだが紀伊山地を源にする川の流れと周囲の森を歩き、身を浸すことは、あのすばらしい国際会議場でいくら時間を使ったとしても得られないものがある。まさにここには「生物多様性」の森があった。つまらない机上の研修よりも、ここの森を歩くほうが質も実もある。おまけにおいしい「赤福」もある。【2008/11/05】@伊勢神宮・内宮・五十鈴川

2008/11/04

NI-WA=NO-MA・その6=泥団子で絵を描こう(素材)

11月24日にNO-MAで予定している「泥団子シリーズ」の年内最終回「泥団子で絵を描こう」の為に絵の具の材料となる草木の実を探した。いっぱいあるはずのクサギとヨウシュヤマゴボウの実がぜんぜん見つからない。あてをつけていた安土文芸の里周辺を歩くも収穫はない。これには正直まいった。五個荘町に入ってから少しずつ見つかるが依然として収量は少ない。この原因を考えた、まず一つ目:連休のために路傍の草刈りがされてしまった。そして二つ目:これらの草木は人の手が入った野山・林縁に真っ先に成長する種だ。ひょっとすると以前に増して林縁に人の手が入らなくなったためにこれらも生育することが難しくなったのか。やっと見つけた場所は道路のアスファルトの端っこだった。庭づくりの話から遠い話題だがご勘弁を。 【2008/11/02】Photo : ヨウシュヤマゴボウの実 @滋賀県能登川