2010/02/06

樹に宿るこころ、こころに宿る樹

 昨夜、仕事の帰り道での出来事。バスを降りて自宅までの暗い道を歩いていた。ちょうど僕が卒業した錦林小学校にさしかかった時だった。5mすこしばかり前を歩いていた50歳半ばの男性が大きなケヤキの前に立ち止まり、両腕でケヤキをしっかりと抱き、しばらくしてから両手を合わせ丁寧なお辞儀をした。錦林小学校は明治2年(1869)の創立、今年で141年を迎えた。男性が抱いたケヤキは、この錦林小学校に残る大きなものだった。僕が小学生の頃は5〜6本あり、すでに隣の道路まで大きな樹冠を広げ、幹もたいそう太かった記憶がある。当時、ケヤキは背の高い塀に囲まれた校庭のなかにあった。その後、高い塀が解体されて今の様に歩道から直接触れることができるようになった。今では大人が二人で手を回しても届かないぐらい太い。樹齢140年まではいかなくとも100年ぐらいは軽く経過しているだろう。僕はこのケヤキのことをよく覚えている。なぜなら教室の勉強にまったく興味がわかない僕は、木造2階の教室の窓から一日中飽きること無く見ていたからだ。そしてケヤキの樹冠の向こうには、もっと興味を引く平安神宮の森や東山の山並みもよく見えた。周囲の森の風景以外に、唯一学校で興味を覚えたのが理科の先生が熱く語ったノーベル物理学賞の朝永振一郎先生(1906~1979)の話と階段の踊り場に飾られていたコンドルの剥製(夜になると餌を穫りに山に飛んでいくと伝説があった)。ともかくそんな古い学校なのでこのケヤキに僕と同様、さまざまな想い出を持った卒業生がいてもおかしくない。そんな僕も夜遅くともいつもその樹の傍らを歩くことが多い。だがこの男性がとったストレートな行動に僕は驚き、木・植物の持つ力をあらためて見たのだった。そうそう、僕たちはじめ周囲の人たちは、この錦林小学校を「錦林校(きんりんこう)」と呼んでいる。間違っても「錦林小」とは呼ばない。多分、「錦林小(学校)」とは「施設」のことを指し、「錦林校」とは小学校に直接関わる(父兄や生徒)ことの無い人間においても関係してきた「地域のシンボル」を指しているのだろう。さて、話はもどり一日中外の風景を眺めていた僕の成績はいわずと知れてクラス最下位(ただし理科を除いて)、担任のS先生からは「この子、頭おかしい」と烙印を押されてしまった(この判断、間違ってはいないだろうけど、両親に告げられ少年はけっこう傷ついた)。実はなにも考えずに森や風景を眺めていたんでは無い、小さな脳味噌なりにちゃんと理由はあった。「なんで、木の葉っぱはあんなにキラキラ輝くのだろうか?」この答えをS先生は教えてくれなかった。答えを自分で見つけるまでには時間がかかった。それは「照葉樹林」の存在を知った高校生になってからだ。「照葉」・・・夏期に雨量の多い地域では、その環境から葉を守る為に葉の表面のクチクラ層が発達し、光って見える。確かによく見ていると表面を陽光があたり樹冠の葉が虹色に輝く時がある、ああっこれがあの時の「キラキラ」なんだ、そしてそれこそが「錦林」(*1)なんだと・・・確信した。やっぱり植物はまったく不思議で魅力的なのだ。【2010/02/05】
*1 本当の「錦林」の由来:かつてこの地域(聖護院一帯)は深い森だった。そして、秋の紅葉は大変美しく錦の織物ようだったので銀林と呼ばれるようになったとのことです。(しかし、この説にはいささか疑問が残る・・・この地域は昔、城があったほど栄えていた。そんな場所が深い森だったとは信じがたいからだ。それにこの地域が深い森ならずーっと先まで深い森だったに違いない。やっぱり「キラキラ」が正しいと思うのだ)
*2 写真は4月6日に追加しました。ケヤキの左側にかつて塀があった。

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