今日は、「八幡山に天狗を探せ!」の本番。40名近い参加者の子ども達と竹林の中の広場に天狗の巣を作り・天狗話を聞く。まずは「て・ん・ぐ・や・ま」を一人一言、これで五班の出来上がり。さっそくそれぞれ天狗の巣作り。我が班「ま」は8名、「本当に天狗は来るの?」と一緒の班の子ども。そんなこともいつしかどうでも良くなり、自分たちの巣作りに熱中・集中。背後で繰り広げられる他班の完成の声や音楽・・・誰もがついつい振り向いてしまうが、巣作りの手は止まらない。時間切れも含めて五班全部の巣が出来上がった。すごい、同じ素材を使いながらも、どれも違う構造を持つ。そこで「小暮天狗」(京都橘大学)の「天狗話」、巻物でするすると民話、妖怪、歴史、芸術・・・が展開。その内容はけっして簡単ではない、むずかしい漢字も多い・・・しかし、誰もがお話に巻かれてしまった?(きっと巻物は太くなったに違いない)天狗の巣作りも天狗話も理屈でなく、全身で面白く楽しめるから。ここでは、これをしたから云々の特典も成績はない、個人個人が自分の判断と発想で自分がすべきものづくりが楽しめた。理屈ではない、これでなくては面白くない。今まで、竹林に空いた広場がすっかり「天狗村」となり、周囲を見渡せば垂直に伸びた竹林を背景に、水平や斜め向いた竹、アーチを持った屋根など同じ竹が作り出す違う線がおもしろい、くわえて小暮先生の朱色の上着に子どもたちの赤い帽子が緑にアクセントを付ける。竹林と天狗巣、そして40数名の天狗達。天狗話の間に空が発した不思議な音・・・。ふと思い出した「天狗は来るの?」この時、天狗は子どもたちそのものだった。風ともなって野山や町を駆け巡る・・・時には想像を絶する音を出す、時間を飛び越す、まさに。竹林に生まれた新しい風景はものすごく魅力的だった。天狗は野山を駆け巡る・・・残念だけど今日の巣は片付けよう。天狗村が無くなった竹林広場はもとの何も無い空間に戻ってしまったが、不思議なことにすごくいとおしく魅力的な場所に思えてきた。すべては今日の数時間の出来事とは思えない・・・天狗は「時空を自由に駆け巡る」・・本当のようだ。天狗の「狗」は「狐」という意味もあると言う、今日ばかりはほんとに騙されたのかもしれない。多くの天狗に感謝。
緑の環境に何かをくわえ・何かを差し引く、その少しの行為により、一段と魅力的な環境を創る・・・これはまさに「庭づくりのこころ」だ。
写真の一番下が我が「ま」班の巣、八人の手で創り、八本の柱が全体を支えるから「八幡山天狗八つ手坊」と名付けられた。
Photo:2009/08/30 @八幡山、近江八幡
緑の環境に何かをくわえ・何かを差し引く、その少しの行為により、一段と魅力的な環境を創る・・・これはまさに「庭づくりのこころ」だ。
写真の一番下が我が「ま」班の巣、八人の手で創り、八本の柱が全体を支えるから「八幡山天狗八つ手坊」と名付けられた。
Photo:2009/08/30 @八幡山、近江八幡
2 件のコメント:
流れるようなレポート。臨場感あふれるヴィヴィッドなご報告です。
今の時代、このように大人も子どももボーダレスに自然の中で自由に心を遊ばせることができることは、本当に幸せなことですね!
素晴らしい。
ボーダレスの意味は、頭で考えるもんじゃなくて、体で楽しむもんなんだと思いますね。大天狗、小天狗に感謝します。
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