2013/01/28

小学校クラスの専用庭工事(続々々)

 小学校クラスの専用庭にも雪が積もった。昨年末以来、寒さで野菜達は生長を止めてしまった。ブロッコリーもキャベツも大きくならない。この庭は、野菜も宿根草も、いわゆる雑草も同じに育っている。先日、このことを聞かれた「野菜と草花を一緒に植えてもいいんですか?」、それにこう答えた「どちらも人間が分けているだけでしょ、どれも同じ植物で、それぞれが競争しながら生きることで元気になると考えていますよ」と。この庭は「エディブルガーデン」なのだからこれで大丈夫。Photo:2013/01/28   @浅小井、近江八幡市

2013/01/21

風を描く/近江兄弟社小学校親子プログラム

 2012年度近江兄弟社小学校親子プログラムの全3回の最終会。今回は、草筆を作り、描くテーマは「光、水、緑」のいずれかと「風」とした。全て浅小井キャンパス・環境計画のコンセプトである。前半は散歩しながら草筆の素材を探す。ススキ、バショウ(芭蕉)やカンナの葉など素材には事欠かない。持ち帰った素材、なかなか個人個人面白い工夫の筆が出来上がった。さて絵を描く段階になって面白い状況が生まれた。雪を筆代わりにして絵を描き始めた女の子。絵の具を雪の筆(?)でのばしたり、雪絵の具を作って描いたり。面白い。【2013/01/20】

2013/01/12

新梅田シティ公開空地と希望の壁

 今日は「梅田スカイビル庭園・希望の壁と北ヤードグリーンパーク化を考える」に参加(写真上:チラシ)。ちょうど20年前に新梅田シティ(積水ハウス)が建設された。これはビルの真ん中を額縁のように開けて、巨大建築物の新しい姿を生み出した。さらに屋上部に空中庭園、そしてビルの足元には、いのちのつながりを実現し、様々な生き物が集まってくる「新・里山」が造られた。ビル開発の名ばかりの公開緑地ではなく、そこは棚田、鎮守の杜、雑木林を作り、積極的に人との関わりで育て活かしていこうというものだった。現在ではこのような計画は当たり前になっているが、生物多様性を見据えた新しい森づくりそしてものすごく新鮮で注目された。20年が経て多くの市民の関わりも生まれ、森も育ち始めた。さてその場所(もしくは隣接して)に建築家・安藤忠雄氏が巨大な緑の壁(名付けて希望の壁)と称する構造物を提案(写真:中)したと新聞報道(毎日新聞平成24年12月19日朝刊)された。それに驚き問題提議をしたのが先の公開空地の設計者・吉村元男氏(造園家)。今日は、公開緊急座談会として互いの意見を聞き、これからの北ヤード開発を考えると言うものだった。
 吉村さんの意見は、街の中に新しく生態系を生み出してきた新梅田シティ公開緑地にとって、また街の利用者にとって「希望の壁」は巨大建造物以外の何ものでもなく、街の風を殺し、視界を防ぎ、20年の緑の歴史とそれを育ててきた市民を無視するものである。街が巨大化するなかでなによりも大切な環境と言うものを地面の上で緑で生み出していくことが大切であり、緑の風景とは大地に根ざしたものであるべき。一方、安藤さんは提案は業務(契約上の仕事)ではなくあくまでも提案、それを造るか否かは相手の問題、さらに緑の壁はネットで造るので風も通るし、大きな穴(窓)も開いている。自分は美しい街を作りたいんだ。・・・と言う。結果としては、なんともすれ違い的な座談会ですっきりしない。ただただ安藤さんの話術は大変に上手かった、一方的に自分サイドの話を披露し、私は皆さんと気持ちを同じにする一市民ですよ、としか言わない。これからの動向に目が離せない。
 僕の意見としては、20年の緑の歴史と市民活動こそ今一番の新梅田の宝である。安藤さんの希望の壁は、取り上げて新しい技術でも、ましてやそれができることで「希望」が生まれるとも思わない。もっとも「希望の壁」の元は安藤さんが話の中ですこし漏らした「東北の震災瓦礫を使ったモニュメント」が緑に置き換わったものだろう。緑に置き換わった以上なんともイベント的で興味も湧かない。あえて「希望」と言うならば、日本の地方に残る屋敷林に匹敵するほどの「新梅田の屋敷林」を100年かけて育てたいと・・・そのぐらいのことを言って欲しいと思うのである。でもこんなアイデアは地味でメディアが飛び付かないということも現実だろう。さて巨大な緑の壁と言うなら、英国エディンバラ植物園のブナの巨大生垣である。この生垣は、高さ8m以上、長さ200m程、厚さ1.5m程、で100年かけて育てられてきたものである。こちらは地味な存在ではあるがエディンバラ植物園のお宝の一つと言ってもいい。【2013/01/12】

2013/01/02

試合をマネジメントする

 ラグビー第49回全国大学選手権準決勝:早稲田と帝京戦(@東京・国立競技場)をTVで見る。大変に興味深く、印象的だったのが主審が選手達に与える注意や指示が他のスポーツと大変に異なっていたこと。なぜ今のプレーでペナルティをとるのか、また「問題が起こった」際には両チームのキャプテンや当該選手を呼び出し諭すように説得する。スクラムの場面でも細かなアドバイスをしている声がよく聞こえた。TV解説者が「ラグビーの主審は試合をジャッジするのではなく、マネジメントする」と話す。それを聞き、ああなるほどと思った。メンバーが一線になってボールをつないでいくスポーツにとって試合の流れは大切。主審は全体の流れと選手個々のプレーの詳細を理解しながら、互いの選手達が気持ちよく試合に集中できるような組み立てをしていくことに驚いた。一方、選手の方は少々ラフなプレー(もともとラフだけど)があっても、ホイッスルが自分に対して吹かれてもサッカー選手のように「むっと」したり、怒ったりしない。観ていて大変に気持ちのよいスポーツだなと感じた。決勝戦は13日の筑波対帝京戦、選手達のプレーもさることながら、主審が発する言葉にも注目したいと思う。さて、まちづくりや場づくりでプランナーは、どのように参加者や市民をマネジメントしていくのだろうか。【2013/01/02】

2013/01/01

除夜の鐘 幸せの新年であります様に

 今年の正月は、マレイシアから友人親子がやってきた。毎年訪れる真如堂の除夜の鐘に誘った。読経から始まる除夜の鐘、ご住職が鐘をついたあと我々も突かせて頂く。旧年中の感謝と、新年が幸せで平和な年であるように祈りつつ鐘に向う。友人親子の「子」は現在オーストラリアの大学で建築を専攻している。鐘の波打つような残響が不思議なようだった。どうしてかと聞かれて、確かに不思議だと気付く。鐘が生きて呼吸でもするかの様に、また鐘の鼓動の様にも聞こえてきた。【2013/01/01】