2008/09/29

NI-WA=NO-MA・その1=泥団子「こねる・まるめる」

今日は、ボーダレスアートミュージアムNO-MAとのコラボレーション「NI-WA=NO-MA」の第1回目泥団子づくり。(詳しくは左の「つながり/ボーダレスアートミュージアムNO-MA」でご覧下さい)3日前までの申し込み状況から予想をはるかに超える総勢50数名が小さな庭に集った。前半は演劇家・金紀江(キムキガン)さんのお芝居「子犬のうんち」=嫌われ者の子犬のうんちは、実はきれいな野草が花咲くために大切なものだったという展開。今回の泥団子プロジェクトも、単なる土の塊も草花が育つための大切な大地であることをアートとして展開するもの。アートの題材の多くは自然の造形や素材から生まれる。だから単なる泥団子ではなく草木の種子をいれた「シードボール」をつくりNO-MAの庭を花でいっぱいにする計画。シードボールが天からの水と風の流れのなかで風化し、そこから草花の芽が生まれ出る、この時間経過・変化を記録しようと思う。今回はまず「シードボール」づくりの練習。素材は近江八幡にこだわった=土は八幡山の土、水は八幡山の谷川の清水と八幡堀の水、土に含まれるのは八幡の空気、そして土をこね・作るのは八幡の子どもたち。泥団子づくりは初めての子どもたちも多かったが、皆自分自分の団子を作った。参加者のお母さんのことば「この子こんなに泥いじりが好きなんだ」。土いじりは子どもの本能だ。土と水と空気の入り混じった感触、自由に形を変える塊、冷たくも暖かくもある温度感、子どもたちが自然をそして庭いじりを好きになるためにはまず土いじりが大切だ。次回10月11日は土に草花の種子を入れてつくる泥団子=シードボールづくり、これを称して「八幡団子」。夏には小さな庭がどんな庭に変化するのか楽しみだ。【2008/09/28】
Photo上:泥団子とタカノハススキ(鷹之羽すすき)の穂
Photo下:泥団子をつくる子どもたち(撮影:武壮隆志)

2008/09/26

今日の仕事場/近江兄弟社学園のジオラマ模型

近江兄弟社学園に行った。玄関ロビーに高校生がつくったキャンパスのジオラマ模型が展示されていた。少々ラフながらも建築と庭の特徴をよくとらえている。前庭広場の風車もちゃんと表現されている・・・と思いきや、やはり建物は実測作業も行ったそうだ、体を使った作業は見る者へ与えるインパクトが違う。但し、現実と違う所は隣地が森になっていること。確かにここが森ならさらにいい環境となるだろう。はたして森を作った「その心」とは何だろうか。模型を作ることとは、その場所に自分がなにを期待するのか、自分が何をしたいのかを無意識のうちに考えることでもある。自分たちが暮らす学校を俯瞰(ふかん)でとらえながらも、細部を作り込んでいく。完成までに俯瞰と細部を何度も行ったり来たりしたに違いない。きっと作り終えた後は普段とは違う学校の空間と自分に気づくはず。さてこの模型、造園学専攻の大学1回生がデザイン実習で作るほどの良いできだった。何よりも製作中の賑やかさが聴こえてきそうなところが良い。
【2008/09/26】 

2008/09/23

庭づくりの隠し味「オバナ・タニグチ・ドウノマエ」

庭づくりにはいろいろな隠し味がある。隠し味が入ること庭がずっとよく見える。今回は「オバナ・タニグチ・ドウノマエ」。
 まず一番目「オバナ」:庭を広く見せたり風景の変化をつくるために、その高さは状況で違うが「築山(つきやま)=土を盛ったところ」を造ります。その時に築山のてっぺん(一番高い所)に木を植えたり、石を置くことは避ける。てっぺんは大切な場所(神様の場所)だから、木を植えるならてっぺんの向こう側、もしくは左右どちらかの肩の部分に植える。(どちらがいいかは周りの様子で変わります)またもう一つの「オバナ」これは岬状に突き出た場所を造ったとすると、この先端にも木を植えない。この場合は少し後ろに植える。
 二番目は「タニグチ」:築山を造ったり、石を置くと何が起るか?雨が降った時に雨水が集る場所が出来ます。水は高い所から低い所に、広い所に集った水は狭い所に集ります。その水が集りやすい所は要注意、ここには湿っぽい所が好きな植物を植える。乾燥が好きな植物を植えてしまうと結果は見えている。また水を受ける植物を植えることで土が流れることも防げる。
 三番目「ドウノマエ」:さすがに今ではお庭にお宮があるところは滅多とないと思いますが、ここでの「ドウノマエ」はアイポイントとなる石や、飾り(オーナメント)です。アイポイントのすぐ前や視線の重なる場所には木を植えたりするのは避ける。自分が立つ位置とアイポイントを結んだ線からすこしずらした位置に木を植えることで奥行き感がずっと出て来ます。
 この3つのポイントは広い庭でも、小さな庭でも同じこと、もっと小さくなって植木鉢でも同じこと。【2008/09/23】

2008/09/20

今日の仕事場/病害虫と植物の関係

 本日の午後は、公開シンポジウム「マツタケがつなぐ世界」(主催:京都大学マツタケ研究会+まつたけ十字軍)に出席。なかなか興味深い話しが続いた。最後の方で昆虫学の先生から「松の木とマツカレハ」の関係が紹介された。次のような内容だった「マツカレハ(*1)の卵や幼虫を松の木に放す、健康なマツや自然度の高い環境にあるマツに放しても決して大きな被害にはならない。幼虫が生存出来ない、成虫にまで成長出来ない。つまり捕食者(場所によって捕食者はアリやハチ、鳥に変化する)によって食べられてしまうからだ。ところが別の場所のマツに放すと大きな被害を出す。そこには捕食者が存在しないからだ。また、松の葉は三年間つく、小さな毛虫は若い葉っぱを食べ、成長するごとに古い葉っぱを食べるようになる。管理された庭の木はわざわざ古い葉っぱを取ってしまう。もし大きな毛虫が古い葉っぱを食べてくれるなら、わざわざ人が取らなくてもいい。毛虫が落とす糞も大切な養分となることも考えられる。害虫は多いから害虫で、少なければ益虫になるんだ。(という解釈も出来る)」(言い換えれば人為的に古い葉っぱを取っていれば大きな毛虫は防げるか?)
 このことを庭づくりに当てはめれば、庭の昆虫が多様性に富めば害虫被害は少ないと言うこと。単一植物の花壇は極めて病虫害に弱い。
また一昨日はキノコの研究者の方に「キノコと樹木の関係」を教えて頂いた。「キノコには、腐朽菌という種類がある。腐朽菌は樹木の養分をもとに成長する。腐朽菌が付くと樹木は弱っていく。腐朽菌は健康でない植物を早く分解させることに役立っている。ただし、いくらキノコが菌糸を樹皮にいれたとしても健康な樹木はそれをはねつける、ぜんぜん大丈夫。」(ちなみに松茸は共生菌、松茸が生えている松は成長がいい)
 なるほど、この2つの話しをまとめると病害虫の発生は、植物が生育する環境と植物そのものの健康状態に左右されるものであることがわかる。桜並木などでただ一本だけ病虫害に侵されている木や唯一の庭木が毛虫に食われているケースを見る(Photo)。これは、その木の健康状態や、その場所の生態系の脆弱さを物語っている。今まで自然の山や森を見て経験値として知ってはいたが研究者の方の話しを伺うとなるほどと頷かずにはいられない。【2008/09/20】

Photo: 毛虫に食われて無惨なソメイヨシノ、実はこの桜が植えてある場所は地下水位が非常に高く、桜を始め多くの樹々の樹勢は非常に悪い。弱った木は、病虫害への抵抗力が小さい。殺虫剤を撒いたとしても根本的な解決は出来ない。木が大きくなり地中に根を張り始めると根腐れで枝の先が枯れてくる。2008/09@滋賀県旧豊郷小学校の庭

*1:マツカレハはカレハガ科の一種、日本全国に分布。終齢幼虫は体長75mmに達する大型の毛虫で、俗にマツケムシと呼ばれています。毒性はドクガほど強くありませんが、刺されると激痛あり。

イベント情報/国際ガーデン&エクステリアEXPO/会期終了

■第2回国際ガーデン&エクステリアEXPO
■第5回国際フラワーEXPO(同時開催)
会期:2008年10月30日(木)〜11月1日(土)
会場:幕張メッセ
入場券はホームページに申し込めば無料(入場券無しの場合2000円)
詳しくはホームページで http://www.gardex.jp/

展覧会情報/つながれ時間=茗荷恭介・北川陽子二人展/会期終了

■つながれ時間=茗荷恭介・北川陽子二人展
会期・10月1日(水)〜10月26日(日)
場所・東近江市能登川図書館
入館料:無料
ギャラリートーク:
茗荷恭介(鉄の造形)10月11日(土)15:00〜
北川陽子(麻織物)10月25日(土)14:00〜
関連イベント:ベーシスト・斎藤徹ソロライブ10月18日(土)19:00開演(18:45開場)定員120名、要申し込み
問合せ:能登川図書館0748-42-7007

2008/09/19

イベント情報/第23回ハンギングバスケット&コンテナ展/会期終了

■オータム・フェスタ イン みずの森2008
期間:2008年10月3日(金)〜10月19日(日)
開園時間:9:00〜17:00
場所:草津市立水生植物公園みずの森
入場料:大人300円、高校生大学生250円、小中学生150円、毎週土曜日;小中学生無料
問合せ・連絡先:077-568-2332
ホームページ http://www.mizunomori.jp/

2008/09/16

イベント情報/Happy Forest Project 2008 in Taga 〜 Green Diamond/会期終了

■ハッピィ=フォレスト=プロジェクト 2008 in 多賀
「シアワセな森はみんなの宝物みたいに、そこでキラキラ光ってるよ!」素敵な音楽、素敵なモノづくり、素敵なサービスやお店を、琵琶湖のルーツである水源の森にもちこんで、そこで過ごす気持よい時間を楽しもうというイベントです。このイベントは昨年の夏に余呉でスタートし、今年は多賀にやって来ました。(チラシより)
会場:滋賀県犬上群多賀町藤瀬高取山ふれあい公園”森のドーム”周辺/期日:2008年9月27日(土)雨天決行・荒天中止 open11:00~20:00/費用:2000円(但し公園入場料含まず)小学生以下無料/主催:ハッピィ=フォレスト=プロジェクト実行委員会(080-5364-2415・ヒライ)http://www.h-f-p.net/【2008/09/16】

今日の仕事場/オバナ・タニグチ・ドウノマエ

先日の森林再生の会議の時に聞いた言葉を紹介します。近年、気候の変化に伴い自然災害(特に雨による土砂災害、水難事故)が多い、今まで信頼されてきた砂防ダムの崩落もあった。その自然災害へのリスクマネージメントをちゃんと森に暮らす人々は古くからいい伝えとして持っていたと言う。「オバナ・タニグチ・ドウノマエ」なんだか呪文のようだ。「オバナ」とは、すーっと一定の勾配で降りている尾根の傾斜が急に変わっている場所のこと(尾鼻)をさす(昔、地崩れがあったと想像される場所)。「タニグチ」とは、沢と沢が出会う場所であったり沢の入口(谷口)(雨が降った時に水量が急に増す場所)。最後の「ドウノマエ」とは、お堂や祠の前のこと。自然への崇敬の念。「水の神様、山の神様」に対しての礼儀である。この言い伝えは三重県で伝えられる。興味深いことに、これが大台ヶ原の山を越え奈良県側にいくと「オザキ・タニグチ・ミヤノマエ」に変る(尾鼻が尾先に、堂の前が宮の前になる)。つまりこのような自然災害の起きやすい所には家を建てはいけない。そして自然への感謝を忘れないようにと言うことだろう。同じような話しは、山梨県の竜王というところでも聞いたことがある。「竜王」の辺りには家を建てるもんじゃないと言う。この場合の「竜王」は、川が蛇行していた様相からついた地名。よって一帯は古くから洪水敷きである、河川の堆積地盤で家を建てるには相応しくないということ。昨年、新潟の山古志村(地震被災の)を訪れた時、驚いた。遠くから高い樹々が残る場所には必ずと言っていいほどそこにはお堂やお宮があったからだ。近くには古い民家も健在だった。確かに予想を超えた地震災害ではあるが「オバナ・タニグチ・ドウノマエ」の言い伝えは明らかなように感じた。今の自然災害は、「地」の脈絡を読めなくなった都市計画や土木技術の責任も大きい。次回は庭づくり隠しポイント「オバナ・タニグチ・ドウノマエ」を紹介します。【2008/09/16】

2008/09/15

お知らせ/庭にはイノチの風が吹く/会期終了

10月19日(日)午後6時30分〜 近江八幡のTae Space「茶楽(さらく)」で庭を巡る話と歌・スライド・語り「庭にはイノチの風が吹く〜庭づくり・樹々との共生の誘い」があります。プロデュース&コンダクター:鳥井しん平、楽士:みやもとはじめ、弁士:かわいつぐお。
Tae Space「茶楽」の建物は、八幡堀端に建つ築160年の土蔵(材木蔵)で八幡堀の舟運を活かした場所にあります。場所:近江八幡市佐久間町17-1 電話:0748-32-8885

2008/09/14

庭を旅する/第三歩 素夢子の庭(京都)★★☆☆☆





京都のビル街・烏丸三条から西に入った所に「素夢子(そむし)・古茶家(こちゃや)」という韓国料理店がある。今日は森林再生に関しての会議、私たちが陣取ったのは外壁と店内の間に設けられた小さなスペースの外テーブルで食事をしながら。店の入口で立ち止まり、前の草花を眺め一言二言、人の声が中まで良く聞こえる。店と道路との間には、版築(はんちく)(*1)で造られた低い壁を持ち、わずかな隙間にたくさんの草を生かし、独特の庭を創っている。面積にして二畳程度の小さなもの。そこに生える草は「雑草」と呼ばれているものたち。店の軒下から道にせり出した柳が唯一の木。店に入るにはまずそれらの雑草をまたぐことになる。とても狭い場所なのに、遠くからでもよく見え、ビルに囲まれた場所とは思えない気持良さ。版築壁と草花だけをみると、どこかお寺の風景を切り取ったようでもある。ここは私が考える「まちのツボ」をしっかり押えた庭だ。小さいながらも効き目は大きい。まちのなかに大きな緑があり、それぞれが連続すればベストだが、今の街の環境を考えると困難である。しかしこんな小さな緑でも要所要所にあり、それがつながればとてもいい環境がまちに生まれるに違いない。密集した街では、新しく1ヘクタール(100m×100m)の公園ひとつを確保することはとても難しい。それよりも、100円パーキング2台分(25m2=5m×5m)の緑地100箇所を確保し、幅1.0mの(分断しない)草地を7.5kmに渡り連続させる(これも同じ1ヘクタール)ことでもさまざな効果が期待出来る。これは決して無理なことではない、なぜなら今や過剰にできてしまった100円パーキングを買い取って、現況の歩道や車道の緑地をもう一度、しっかり生態的に復元・再生すればいいからだ(言うが易しは承知の上)。実現すればすごいエコロジー・シティーができることになる。そのためにも「素夢子」の看板娘の雑草たちが、別の店でも活躍してもらいたいものだ。この程度の余地を草地にするのであれば経営者にとってまったく負担にはならないだろう。つまらない看板よりもはるかに店の魅力アップになる。地に生きた緑の看板が手をつなげばきっと何処にも無い快適できれいな街ができるだろう。街が生んだ環境の悪化は、まず街の中で出来ることから、出来るやり方で解決すること大切。
 会議の席での高田先生(森林生態学)のことば「(自分は、人間は)人類が滅びる日が判っていてもその日まで若木を植える行為をする(するべきだ)」が私にとって今日の宝物だ。(森林再生の最先端の研究者だけにその危機感が伝わってくる)【2008/09/13】

●素夢小・古茶家/add:京都市中京区烏丸三条西入/tel:075-253-1456/open:10:00〜21:00/定休日:水曜日

*1 版築(はんちく):壁を造る場所に両側から板などで囲み枠を建て、枠の中に粘土・土に砂利などを混ぜ、つき固めながら建造した壁もしくは、その工法。身近な素材で強い構造が得られるため、古くから民家の壁、城の土台、古墳などに使われた工法。万里の長城もこの工法で造られている。

2008/09/11

今日の仕事場/木を植えるのはなぜ?

今日は新設小学校計画の為に某市教育委員会で打合せ。打合せまでの車中、いつものように「どんな楽しみかたを子どもたちはしてくれるんだろうか」と手帳に落書き(スケッチ)をしながら場づくりを考える。もともと学校の周辺にあった雑木林が復元出来るといいな、校舎とグラウンドの間には林が〜などと考えていた。ところが庭・樹木の説明をし始めると「木は要りません、落葉があると苦情が来ます、虫がつきます、プールに葉が落ち入り水が腐ります。鳥が巣を造ります。カラスも来ます。シンボルが一本あれば十分です、あとは芝生。暑い日には外に出しません。それと花が咲くものも要りません、花が落ちますから」・・・と担当のコメント。(正直、最後の花が落ちます・・には笑わざる得なかった)私が小学生のころはよく木で遊び、木陰で休んだものだった。学校の中の木には名札も付いていた。その頃に覚えた木は今でも良く知っている。ところが今日はどうだろうか、そんな学校生活を豊かにしてくれる大切な環境は必要無い、学校に樹木は必要ないと言われたのだ。どうやら樹木があることによる利点より苦情対策の方が優先らしい。この教育委員会の担当の方々が特別なのか、極めて現実的なのか、どうかは知らない。しかし、こんな話がまかり通る今の学校教育っておかしくないかな。子ども達は大人たちがこんな議論をしていることすら知らない。果たして子どもたちの気持はどこにある。子ども達が近い将来からなず直面する深刻な地球環境問題への解決はどこにある。私は木があるしかも、沢山あることでいろいろな教育ができる、子ども達の遊びが始まると信じている。そして子どもたち自らがこれからの環境問題に立ち向かっていく糸口はそこにしかないと思うのだ。【2008/09/11】
追記:「樹木に親しむことは、優れた童話を読むのと同じような効果がある。(京都府立植物園・松谷茂園長のことば)」このことをもう一度思い浮かべた。(庭を旅する/第2歩 京都府立植物園 参照)

2008/09/08

今日の仕事場/設計とは何か?

 一昨日から部屋に閉じこもって図面を描いている。なん本もなん本も線を描きながら頭をよぎったこと。いつも思う設計(デザイン)のこと。実は先日、仕事で関っている工務店の担当者が私に聞いてきた。「いつも(工事費の)大きな仕事ばかりしているんですね・・・」そこでどうしてかと聞く「既製品を使っていない」からだと言うような意味が返ってきた。私はその意味がよく掴めなかったので少し聞き返した。つまり「既製品を使わない」=「潤沢な予算」という意味のようだ。これに少し近いことがお役所の設計業務でもある。なにか新しい提案をしたとする。すると「このような設計の事例を持ってきなさい」とよく言われる。この二つの話の背景にあることは、「既製品は正しい」、「新しいものは費用が増す」もしくは「新しいものは大変である」、「新しいものは心配だ」ということ。私はいつもとぼけて「設計ですから」と言い訳する(もちろん提案を納得してもらうための説明はします)。設計と言うものは、その場所・使う人・使い方・時間の経過にとって望ましい提案を行うこと、しかも限られた予算の中で最良の方向を見つけること。それを具体的なものづくりとして導くこと。だからいつも違う内容だし、作り方も異なる。いたずらに既製品を並べることもしない。既製品よりも安価でお金をかけずに質のいいものはいくらでも創れる。設計者にとって当然ことだが、どうも世間では違うらしい。既製品は安価で正しいと信じて疑わない。確かにそれをまったく否定はしない。しかし、TPOに有ったものがその中にどれだけあるだろうか。その製品が品質的に優れているのか、金額が妥当か、環境に対した配慮がされているのか。設計をする人間は、さまざまな視点から見定めなければいけない。それを庭の草花に置き換えてみるといい。園芸店から草花を買ってきて庭に並べたら優れた庭になるとは誰も思わないだろう。並べる草花の相性もある、季節的な変化もあるだろう。配置ひとつで大きな変化も生まれる。もちろん人に依って好き嫌いも有るだろう。加えるならばはたして園芸店で入手した草花が健康なものかどうか。いいものを造ると言うことはやはりなによりも時間と想像力と、人の手をかけて創り上げるものであると言うことを多くの現場技術者が忘れかけていはいないか。もちろんこれはわたし自身への問いでもある。しかしそんなことよりも今、引いた一本の線がどんな空間を創るのだろうか。設計とは実に楽しい作業。庭づくりも同じ、地面に伏して草花を見ていると楽しい。まず「楽しく・楽しく」これがいいものづくり・環境づくりの第一歩、そして時間をかけてこつこつとするこれがいいものづくりの一番の近道だと思う。設計も同じで一夜二夜で満足する図面は描けない、描いては消し、消しては描くの繰り返し。そんな無駄とも言える作業と時間の繰り返しの中からパ〜ッと場所のイメージや使い方のシーンが開ける時がある。ここまでくればしめたもの、70%できたも同じ(でも実際は70%以上の図面が待っている)。設計って体力勝負・気力勝負かもしれない。【2008/09/08】
Photo:バラ用トレリスとベンチの1/10模型。形や大きさ、制作方法、色などを検討。実際に木で作った。これも大切な設計作業のひとつ。

2008/09/03

今日の庭/ハチと付き合う

ニュースを見ていると、「9月3日、新潟県小千谷市の寺が全焼・スズメバチの逆襲」と報じられていた。原因は「住職がスズメバチの巣を焼き払おうとし、竹の棒の先に火を付け、寺の食堂の押し入れ内にあったスズメバチの巣を焼き払おうとした。しかし、スズメバチの逆襲に遭い、火が付いたままの棒をその場に投げ捨てて避難。その間に火が寺に燃え移った。」という。なんとも笑えない話だ。これからの季節、スズメバチやアシナガバチが活発化し、巣がどんどん大きくなる。先日も公園のアシナガバチの巣を撤去しようとしてバチの群れに刺され作業員の方が亡くなられたと新聞に報じられていた。皆さんも庭仕事の時は十分に注意しましょう。まずは、庭にハチがいたなら小休止、お茶でも飲みながら、慌てず騒がず何処から来るのか見ましょう。特定の場所に沢山飛んでいたら近くに巣があるかも知れません。一番の対処は近づくのを止めましょう、つまり「Don't Disturb」かまわないこと。次にどうしても巣を取らないといけない場合は、場所をちゃんと確かめておいて陽が落ちてから除去作業を、くれぐれも真っ昼間の作業は危険です。ハチは夜は飛べません。ハチスプレーや殺虫剤を過信するべからず。簡単に出来ることは新聞紙に火を付けて「煙」でいぶせばハチは闘うことができません。後はトング(火ばさみ)で巣を採れば良いのです。でもくれぐれも落ち着いて。それともう一つ、ハチの古巣を見つけたらな(アシナガバチなんかの)、取らずにそのままおいておきましょう。ハチは、古い巣が有った場所の近くには巣を造らないと言われています。その習性を利用してもし古い巣を見つけたならそれを取って巣を造って欲しくない場所にぶら下げておけば大丈夫。アシナガバチは、庭の草花を食べる虫を獲ってくれます。庭づくりの中で大切な役割を担ってくれています。仲良くつき合うための工夫と気配りも必要。
【2008/09/04】
*写真は、「これ私に以上近づかないで!」というメッセージ(体全体で表現)を出すアシナガバチ。許容距離は10cmぐらい? アシナガバチは、花の蜜も吸いますがほとんど肉食。青虫なんかをピンセットでつまんでいると持っていってくれます(これって餌付け?)。The Gallery Ikimono/「セグロアシナガバチ」をご覧下さい。

2008/09/01

今日の庭/近江兄弟社小学校前庭


ボーダレス・アートミュージアムNO-MAのワークショップ(*1)で、近江兄弟社小学校にいった(今日は河童と絶滅危惧種の話し)。予定時間まで教育会館(登録文化財、1931年築)の軒下でコーヒーを飲みながら芝生の前庭を眺め時間を過ごしていた。低く深い軒下のベンチに座るととても落ち着く。目の前には、環境に配慮した(エコロジカルな)花壇(*2)、緩やかな芝生の築山、ウスバキトンボ(*3)が群れ飛び、樹々越しに旧ヴォーリズ自邸(現・一柳記念会館)が見える。ここは近江兄弟社学園のなかでも僕がもっとも好きな場所の一つである。一般的に学校は規模の大きな建築の部類に入る。しかしながらヴォーリズさんの建築には、このようなこじんまりとした空間が適所に用意されている。使う側への心遣いに溢れている。おそらくこの軒はこの建物のオリジナルだろう。前庭の芝生の築山は、過去の写真から判断すると後から造られたものの様だ。しかし教育会館の軒空間との相性は大変に良い。いつの時代に造られたかは知らないがヴォーリズさんが考える建築を十分に読み取った結果と思う。軒下空間は建築のようでも、庭のようでもある。見事なまでの空間づくりだ。現代の建築は、住宅も公共建築も肥大化する傾向にあると感じる。このようなあいまいな場所(無駄な場所?)も少なくなる。ましてや庭は二の次でいい・・・。これは限られた敷地にさまざまな便利と機能を求めるが故の結果かもしれないが、私はすきにはなれない。その場に身をおいた時の時間がまったく異なるからだ。今、ヴォーリズ建築が注目されている。なぜだろうか?この空間を訪れ、時間を過ごすと特有の暖かさと落ち着きがあることに気づく。これこそがヴォーリズさんの建築哲学なんだろうなと思う。【2008/08/31】

*1「地域交流事業2008年夏」右の「つながり」でご覧下さい。

*2「庭を旅する/第一歩・近江兄弟社小学校の花壇」参照

*3 ウスバキトンボ(薄羽黄とんぼ):毎年東南アジアから飛来して、世代を繰り返しながら北海道あたりまで勢力をのばす。関東あたりでも越冬はできないと言う。アカネ(赤とんぼ)の仲間ではない。お盆過ぎから数を増やす。風に乗るのが上手く、ほとんどとまること無くゆるゆると飛び続けている。 The・Gallery・Ikimono/「旅するトンボ」をご覧下さい。