2009/02/25

木を伐ると言う事,植えると言う事(3)

 僕の仲間から送られてきた数枚の写真。メールにはこう書かれていた「小諸市にある某酒造敷地内にある神社の御神木が切られた。樹齢400年、その場所が小諸城内であったときからそこにあり、まちを見守ってきた樹です。理由は、近所の一部の方から落ち葉に対して苦情があること、商工会議所の建物が建つともう切れなくなること。とうかがっています。NPOとして景観計画に位置づけ、みんなで守る運動をしようと思っていた矢先でした。小諸を見守る神様をうしなったようで、小諸の行く末が心配です。」なんと悲しいニュースだろうか。「まちの哲学,まちの思想」そして,まちに暮らすに大切な「信じる気持」,「許す優しさ」が消えて行く気がしてなりません。【2009/02/25】

2009/02/21

木を伐ると言う事,植えると言う事(2)



工事中の小学校旧校舎(修復計画)校庭にあるメタセコイヤ,ヒマラヤスギの伐採作業が始まった。今日の大切な仕事は,この伐採樹木の年齢を知る事,伐採された頂枝から挿し木を得る事。早速,切株の年輪を数える。メタセコイヤが42〜45年生,ヒマラヤスギが65〜75(70?)年生と判った。ヒマラヤスギに関しては,ほぼ校舎の完成(1935年)と同じ頃に植えられたと判断してよいだろう。メタセコイヤに関してはずっと後に植栽されたことが判った。挿し木作業は,小学校4年生,5年生の約50名が参加してくれた。急ながらも町長の参加も嬉しいことだった。70年経った今,旧校舎の修復に伴い,親しまれてきた樹木を伐採した。来年,旧校舎の本格的な活用が始まり,今日の5年生達は卒業する。そのとき元気に育った苗を植えてもらおうと思う。【2009/02/20】Photo(上)町長参加で挿し木作業。Photo(中)メタセコイヤの切株,中心が赤印,10年毎に黄印,最後に白印。約45年生ぐらい。Photo(下)ヒマラヤスギの切株,中心が赤印,10年毎に黄印,最後に白印。約65(〜75)年生ぐらい。2種類の断面はそれぞれの木の特徴を良く表している。

2009/02/14

シンポジウム・フォーラム情報/第10回住まい・まち学習実践報告・論文発表

2007年〜2009年にかけてボーダレス・アートミュージアムN0-MAで行なってきた地域交流事業を,(財)住宅総合研究財団 第10回「住まい・まち学習」実践報告・論文発表会で発表します。
発表タイトルは「まちの木霊が結ぶ地域社会とアーツ」。


第10回「住まい・まち学習」実践報告・論文発表
●日時:2009年2月21日(土)13:30から17:00(終了後、交流会あり)
●会場:建築会館302・303会議室(東京都港区芝5丁目26番20号)
●申込:http://www.jusoken.or.jp/jukyoiku_form.htm(←詳しい情報はこちら)
●問合先:(財)住宅総合研究財団 住教育担当
〒156-0055 東京都世田谷区船橋4-29-8 
tel 03-3484-5381,fax 03-3484-5794

【2009/02/14】

NI-WA=NO-MA・その13=シードボール「かいわれ団子7」

1ヶ月ぶりにNI-WA=NO-MAシードボールを見ました。シードボールから発芽した草花の苗は確実に成長,双葉も本葉にかわり種類の違いが明確になってきました。以前の雪で倒れた水仙はというとそのままの状態,蕾はちらほら。一方,シードボールが置かれていない場所の水仙の葉は,成長が遅いものの倒れずにいる。水仙の葉が多いかぶさっているために草花の苗の成長が悪くなることも予想できる。しかし,もう少し様子を見ます。【2009/02/13】Photo:2009/02/13 @ボーダレス・アートミュージアムNO-MA

2009/02/13

職人を観る設計者・設計者を観る職人

 昨年より芦屋で個人のお庭の工事が始まっている。机上での設計作業がおわり実際に工事が始まると,設計監理という作業が必要。設計監理とは,設計時に想定出来ない現場の状況,数々の変更,材料の最終確認などを含め,いわば「庭づくりの監修」作業。今日はテラスとなる箇所に鉄平石を張る作業を見る。工業製品と異なり,現場に届く鉄平石(自然石)は,形ばらばら,厚さばらばら(この石は層状に剥離するから),色の変化も大きい。このような自然の素材を扱う時の出来不出来は,最後は職人のセンスに左右される部分が大きい。この現場の石張り職人達の作業を観ていると,実に手際がいい,石の配分も良い,目地の入れ方も申し分ない。形がバラバラの石を手に取り,据える場所に仮置きをして,適切な形にハンマーで割り,欠けさせ,張っていく。その石を割る作業は,時には数ミリ単位での調整。現場では設計者が職人を,職人が設計者を観ている。出来がいい時は良い,悪い時は悪いと,明確な指示が必要となる。場合によっては職人が設計者を見定めする状況もある。なかなか緊張する時間。でもここの踏ん張り一つで仕上がりに大きな差が付く。良い職人と出会うと本当に嬉しい。【2009/02/12】

2009/02/11

アーボリストと言う職業(3)

 奈良在住のアーボリスト・小林君からエッセイが届いた。今回はイチョウの話し。
 日本では漢字で「銀杏」と書く,これは種(実)のギンナンを「白く輝く杏(あんず)の種」に例えたことから。一方,生まれ故郷の中国では「鴨脚」と書く,これは葉っぱの形と色,つまり「鴨」(中国ではアヒルをさす)の脚に似ている事から。学名では「GINKGO」と書く,中国語の読み方そのまま。
 そしてイチョウと言えば忘れられない話しがある。それは8年ほど前に東京・谷中霊園での出来事。イチョウの大木の根が隣接する墓石を持ち上げてしまい,支障木として切り倒される事になった。イチョウの大木が生み出す周りの自然環境を守るために住民側として反対をしたものの伐採の決を下された。いざ,伐採作業に入るとあろう事か,伐った幹をつり下げていたクレーン車がバランスを崩し,その拍子にアームが中程でグニャリと折れてしまった。幸い人身事故には至らなかった。その後も作業員のチェンソーの刃が幾度となく折れ,数台のチェンソーが壊れてしまうなど毎日がトラブル続きだった。こんなことはそうある訳ではない。さすがに伐採作業を請け負った会社も,作業発注をした霊園管理事務所も真っ青になった。そこで我々の提案で急遽,お祓いを行なった。伐採作業はその後,トラブルも無く順調に進み終わった・・・と誰しもが思った,ところがどうだ最後に地際の幹の中心部から,直径45cmぐらいの丸い石が胎児のように出てきた。なぜ,丸い石が樹内に入っていたのか? 誰にも判らない。作業員達は最後に地面にぽっかりと空いた穴にその丸い石を納めた。彼らにとっては,明日は何が起るか判らないと言った不安の中での1週間だったようだ。切株の年輪を数えると120年以上あった。切株から吹き出す樹液はなんとも生臭く,切口は獣の皮を剥いだような色つやだった。植物と言うよりは動物的な感じ。その後,伐採反対を訴えてきた我々の提案でイチョウの幹の一部は公園のベンチとして加工され,また切株はイチョウの歴史を知らせるためにその場の近くに展示された。小林君が言う様にイチョウには信仰心を感じさせる何かがあるのだろう。【2009/02/11】

2009/02/10

木を伐ると言う事,植えると言う事(1)

 現在,滋賀県の古い小学校(1935年築)の旧校舎の修復・保存活用計画に関っている。かつては東洋一と呼ばれたほどの立派な校舎である。その当時において日本全国さがしてもどこにもなかったであろう,テニスコート,囲み型の庭園,噴水修景池,学習菜園,厩舎などが整備されていた。庭には,当時まだ珍しかったであろうヒマラヤスギやメタセコイヤの大木も育っている。今回の改修のための造園計画で僕は,これらの樹木の現状と今後,建物と起こりうるであろう多くの問題点を考え,伐採する判断をした。これには,小学校OBであるご年配の方々の猛反対にあった。小さな頃から毎日,見慣れた大きな樹木が伐られてしまうのだからもっともな事だ。しかし,歴代の写真を見てみるとこれらの樹木は,創建当初のものばかりではなく,植えられたり伐られたりしてきたようだ。しかもそこからは,この2種の樹木の扱いを判らずして植えてきた経緯が見える。つまり日本においてはまだ成長の早さが判らず,建物のごく近くに植えてしまっていた。ところがその成長は,予想をはるかに超えたものだったようだ。そこで今回の校舎保存計画としてかつての先輩造園家が計画して植えたもの(結果として今の問題点を生み出すこととなってしまった)である以上,将来おなじ問題を起こさせないために今かかわる造園家が新たな判断をする。誰かがきっちりと判断しなくてはならない。僕は「伐る」という判断とその木の「世継ぎ」(伐採する木から挿し木苗を得る)を育て,植える場所を配慮し風景を再現することとした。無論,そんな事で伐採反対の方々の気持は収まらないが,一応の理解は頂けた。後はこちらが思う様に「世継ぎ」づくりが出来るのか。そこで植木屋を通じて挿し木の専門家に指導をお願いした。本日,わざわざ宝塚から駆けつけてくれたのが専門家Sさん。Sさんに教えてもらった挿し木の一番大切なポイントは,見極めだと言う。枝一本を見た時に,3年目の部位,2年目の部位,そして今年伸びた1年目の部位が判る。この2年目と3年目の境で切ると言うのだ。(つまり挿し木に使うのは1年目と2年目の枝)これを見誤ると発根がしにくいと言う。そして後は水やり。何事にも「見極め」は大切だ。さて挿し木の指導が終わった後,Sさんが僕に尋ねた「失礼ですがK研究室ご出身ですか?」。話しを聞くとSさんは,僕が大学時代在籍していたK研究室の3年後輩で,研究室の資料の中にあった僕の名前を覚えていたと言う。これには驚いた。予期せぬ研究室の後輩との出会いに,「世継ぎづくり」は上手くいきそうだと思った。「見極め」に加えて「ご縁」が大切。「縁」と言えば「ふち」である,これは「際」とも言える。「際」と「極」どこかでつながっている。【2009/02/09】Photo:ヒマラヤスギの挿し木の手ほどきを受ける関係者