2012/04/26

無を持って、有とする

 空間デザイン、環境計画という仕事で大切にしてきた事・・・一つ目、使い手の参加を前提とする。二つ目、自然生態系や多様性を環境基盤とする。この2点を基盤に仕事をしてきたつもりである、また今もそうである。そしてデザインの基本は「無を持って、有とする」、つまりあれやこれやとクライアントや自分が欲しいもの(形や機能)を足し算してデザインするのでなく、必要と求められる機能や欲求を引き算することで本当に大切なデザインを見つける。「無」のデザインから時代を超えた「有」を生み出せると考える。しかし身の回りにあふれるデザインは、どうも違う。家電や車はほとんどデザインされずに市場に出回る。その証拠にすぐに新しいデザインに上書きされていく。しかしそんなデザインはゴミになってもかまわない・・・今、一番気になる、そして大きなデザインは「原発のあり様」である。夏場の電力消費のために稼働が必要と言うが、夏場の一時の電力不足を補うために、大きなリスクを生み出し、経済負担、危機負担を将来にまで追わせようと言う訳だ。一度、事故が起これば、人のコミュニティにダメージを与え、長期的なリスクを生み出し、「空間=地域」が消滅する訳だ。これは、まったくお粗末なデザインである。
 話はそれるが、Apple(コンピューター)のMacのデザインは良いとだれもが認めるだろう、でも形なら誰でも真似できる。実際、市場ではそうなっている。しかし僕はMacの一番優れたデザインはその形でなくマニュアル(取り扱い説明書)の薄さだと思う。つまり使い手(ユーザー)の時間をデザインしていることにある。Macの優れた点はそれに尽きる。【デザイン=人間・時間・空間のために】これのどれをも満足している。
 その対極にあるのが「原発」、「人間・時間・空間」このどれをも満足させない。思うに「有を持って、無とする」デザイン。ずいぶん前に原発の開発をしている方から聞いた話である。「原発は研究すればするほど判らないことが出てきて、その安全マニュアルは到底理解できるものでなくなる・・・」
 本当の優れたデザインで思考するなら「無を持って、有とする」いい変えれば「人の知恵と工夫は新しく多様な可能性を見せてくれる」はずである。
 自然生態系では、「棲み分け」という言葉がある。
同じ場所に住む生物種どうしが、互いに餌を違えたり、活動する空間や時間を違えるなどして、競争せずに共存すること。自然のなかで見ることが出来る生きもののディテールはやはり真似が出来ない。いつも考える事だが、自然の中の全てのデザインは、本当に優れたもので最適解なのだ。


 今年の夏は、自然の中に生き方の最適解を探すいい機会だと思う。だから不良のデザインによる電気は要りません。【2012/04/26】









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