2008/09/11

今日の仕事場/木を植えるのはなぜ?

今日は新設小学校計画の為に某市教育委員会で打合せ。打合せまでの車中、いつものように「どんな楽しみかたを子どもたちはしてくれるんだろうか」と手帳に落書き(スケッチ)をしながら場づくりを考える。もともと学校の周辺にあった雑木林が復元出来るといいな、校舎とグラウンドの間には林が〜などと考えていた。ところが庭・樹木の説明をし始めると「木は要りません、落葉があると苦情が来ます、虫がつきます、プールに葉が落ち入り水が腐ります。鳥が巣を造ります。カラスも来ます。シンボルが一本あれば十分です、あとは芝生。暑い日には外に出しません。それと花が咲くものも要りません、花が落ちますから」・・・と担当のコメント。(正直、最後の花が落ちます・・には笑わざる得なかった)私が小学生のころはよく木で遊び、木陰で休んだものだった。学校の中の木には名札も付いていた。その頃に覚えた木は今でも良く知っている。ところが今日はどうだろうか、そんな学校生活を豊かにしてくれる大切な環境は必要無い、学校に樹木は必要ないと言われたのだ。どうやら樹木があることによる利点より苦情対策の方が優先らしい。この教育委員会の担当の方々が特別なのか、極めて現実的なのか、どうかは知らない。しかし、こんな話がまかり通る今の学校教育っておかしくないかな。子ども達は大人たちがこんな議論をしていることすら知らない。果たして子どもたちの気持はどこにある。子ども達が近い将来からなず直面する深刻な地球環境問題への解決はどこにある。私は木があるしかも、沢山あることでいろいろな教育ができる、子ども達の遊びが始まると信じている。そして子どもたち自らがこれからの環境問題に立ち向かっていく糸口はそこにしかないと思うのだ。【2008/09/11】
追記:「樹木に親しむことは、優れた童話を読むのと同じような効果がある。(京都府立植物園・松谷茂園長のことば)」このことをもう一度思い浮かべた。(庭を旅する/第2歩 京都府立植物園 参照)

2 件のコメント:

あずきちゃん さんのコメント...

以前、森の横に住まいがあった。窓から見えるのは、樹と樹と樹と樹と樹と空と海・・ 
散歩は森の中。雪の降り積もった森はそれはそれはきれいだった。
森の際の明るいところには、季節季節で、多種のベリーがなっていた。ちょうど今頃には、ブラックベリーがたわわになる。背丈よりも高いブラックベリーの棘と戦いながら、バケツに何杯も収穫していく。生で食べて、あとはジャムに加工するのが、この季節の行事だった。

ここ日本に居を構える時、「とにかく大きな樹がたくさんあるところ」を希望した。しかし、そんなところは、寺・神社か、ゴルフ場か、新幹線・高速道路の脇か・・・そんなところにしか大きな樹々は残っていなかった。

宇宙基地が出来て、金属で出来た家・街に住めるのは日本人だけだ、とよく言われる。

地球温暖化の原因は、日本人かもしれない。

ランドスケープデザイン・アトリエ風 Landscape Design Atelier FU さんのコメント...

僕はせめてもの抵抗に「木を植えましょう」(正木高志/著」を某教育委員会次長に贈ります。